日本の新薬開発体制の凋落-日本版NIHへの遠い道のり



 日本は世界有数の長寿国で、医療も世界最先端とみなされていました。

 しかし今、その地位が揺らいでいます。

 日本国内で新薬が出来にくくなり、「ドラッグ・ラグ」により新薬が他国より遅れてしか使えない問題が生じています。

 さらには国家経済においても、年間2兆円を超える貿易赤字が発生しており、大問題になっています。

 原因は、わずか10年足らずの間に、日本の新薬開発能力が凋落したことにあります。

 この問題の解決は、国民の健康に加えて、日本経済にとっても重要です。

 昨日も、阿部総理自身が医療・健康分野の立て直しについて言及していました。
医療技術創出へ政府に司令塔 産業競争力会議、薬や機器開発
 安倍晋三首相は29日開いた政府の産業競争力会議(議長・安倍首相)で、日本発の医薬品や医療機器の開発を加速するため医療政策の司令塔となる新たな組織の具体策を早急につくるよう関係閣僚に指示した。日本の医療技術をアジアなど新興国に展開するための推進体制もつくる。医療・健康分野の成長戦略を強力に進める狙いだ。
 新組織は米国の国立衛生研究所(NIH)の日本版となる。大学など全国の研究機関の成果から有望な技術を探し出し、産業界に橋渡しすることで実用化の道筋をつける。
 各省庁に分かれた医療政策や予算を一元化する狙いがある。例えばiPS細胞を活用した再生医療では、基礎研究を文部科学省、臨床応用を厚生労働省、産業育成を経済産業省が担っており、政府内の連携不足が指摘される。各省庁の予算が重複する例もあり、一体的な戦略が描けずにいる。
 米NIHはがん研究所、ヒトゲノム研究所など27の研究機関を束ね、医学、生命科学研究の予算を配分している。ほかにも類似の機関を持つ国は多いが、日本では各省庁や大学、産業界の利害が対立して実現していない。
 首相は会議で「研究と臨床がつながっていないことが革新的な治療手段を実用化するネックになっている」と指摘。「研究と臨床の橋渡しや研究費の一元的配分の司令塔機能が必要」と述べ、厚労相、文科相、経産相に具体策づくりを求めた。政府は2014年度にも新組織の設立を目指す。
 アジア新興国に日本の医療技術やサービスを一体的に提供する体制づくりにも着手する。日本に治療に訪れる外国人患者を支援している一般社団法人、メディカルエクセレンスジャパン(東京)が役割を担う予定。同法人は11年に経産省の支援で設立された。今後は厚労省も省内に医療国際展開戦略室(仮称)を設け、同法人を軸にした海外展開を支援する。
 田村憲久厚労相は会議で電子処方箋の検討や介護ロボットの普及を促す方針も示した。ただ民間議員が求めた医療費の自己負担の引き上げや病床規制の撤廃、医療機関への株式会社参入などは「実施困難」と回答。6月の成長戦略の策定に向け、引き続き議論する。(日本経済新聞2013/3/30)


ドラッグ・ラグの本質=日本の新薬開発能力の低下
<ドラッグ・ラグについて>
 「ドラッグ・ラグ」とは、新薬の開発から患者に使えるようになるまでの時間差のことです。
 日本は、諸外国に比べ新薬承認の審査期間が長く「ドラック・ラグ」が常態化してきました。
 日本での承認申請は、欧米と比べて43.5ヶ月の遅れとなっています(2011/12/14第1回医薬品・医療機器産業発展のための政策対話資料よりPDF_P15)。

<日本の新薬開発能力の低下>
 そもそも、日本が先に新薬を開発すれば、そもそもドラッグ・ラグは発生しません。
 現在日本は、国別では世界第3位の新薬創出国でありますが、米国・欧州全体からは大きく水を明けられた状態です。
 日本の新薬開発体制の国際競争力が低下していることが、「ドラッグ・ラグ」発生の大きな原因でしょう。

 新薬の開発促進は、日本の患者にとっても、研究者にとっても、日本の企業にとっても、国益にとってもプラスですが、規制の壁、官僚組織の既得権益が改革を阻んでいました。
 その間、新薬開発が莫大な利益を生むことに気づき、いち速くかつ膨大な資金で新薬開発体制を整えた国(米国等)に先を越されてしまいました。

<製薬会社の国際競争力の低下>
 外資系製薬会社は、1990年代後半から国境を超えた大型再編が相次ぎました。
 企業規模を拡大することで、より巨額の研究開発費を捻出し、激化する新薬開発競争に打ち勝つことが目的です。
 売上高1兆円を超える製薬会社は、「メガファーマー」と呼ばれ、ファイザー(米)、メルク(米)、グラクソ・スミスクライン(英)、サノフィ・アベンティス(仏)、ノバルティス(スイス)やロシュ(スイス)などが該当します。
 日本の医薬品市場は、米国・ユーロ圏に次ぐ世界3位の規模ですが、世界トップ10に入る製薬会社は存在せず、日本の製薬会社の国際的地位は低下してきました。

<医薬品の貿易赤字の拡大>
 その結果、患者は海外の新薬を「ドラッグ・ラグ」で遅れてしか使用できず、研究者は海外へ流れ、製薬会社は国際競争力が低下していき、国は膨大な貿易赤字(約2.2兆円)に苛まれる状況に陥ってしまいました。

日本の医薬品の輸出入高推移  がん治療薬を見れば、元々は国産治療薬が主流で、輸入薬は2割ほどに過ぎませんでした。
 しかし、2001年を境に輸入額が急増し、わずか2年後の2003年には輸入薬が国産を上回りました。
 現在では、がん治療薬の主流は完全に輸入薬になってしまいました。

医薬品市場の規模と日本の位置づけ
 世界全体の医薬品市場は、急拡大が続いています。
世界の医薬品市場規模  2010年の市場規模は8612億ドル(82兆円)となり、15年前の3倍の規模となっています。
 その間、米国市場は3.7倍、欧州は2.8倍、その他新興国等は4.1倍へ市場規模が拡大しましたが、日本はわずか1.6倍しか拡大しませんでした。
 なお、今後も市場拡大は続く見込みで、2015年には1兆1000億ドル(105兆円)に達する見込みです。

 世界的に医薬品市場が急拡大=医療費が急増するなかで、日本の医療費はさほど増加しませんでした。
 この間、日本の政府・官僚は、医療費抑制に最も力を注いできましたから、彼らにすれば目標を達成したことになります。

 その代償として、世界の医薬品市場のなかで日本市場の重要度は減少し、同時に産業としての競争力も低下ました。輸入額の増加が続いていることがその証左です。

 これも国家衰退への一局面といえるでしょう。

新薬開発・承認に対する政府の対応
 政府も、「ドラッグ・ラグ」や「新薬開発力の低下」について認識しており、改善に着手はしてきました。

<第1次5か年計画>
 第1次安倍内閣発足直後の2006年10月に厚生労働省は、「有効で安全な医薬品を迅速に提供するための検討会」を設立しました。
厚労省医薬品迅速提供検討会が初会合-来年7月には方向性を提示へ
 厚生労働省の「有効で安全な医薬品を迅速に提供するための検討会」(座長:高久文麿自治医科大学学長)は10月30日、初会合を開き、医薬品等の開発から承認までの解消すべき課題について議論を開始した。今後、月1回会合を持ち、来年7月には対応の方向性を打ち出していく。
 初会合で柳澤伯夫厚労大臣は、政府が掲げた成長戦略イノベーション25で、医薬分野が筆頭に掲げられていることを挙げ、「厚労省は医薬品等の開発、臨床適用に向けた対策を充実させなければならず、重い責任を感じている」とすると共に、「画期的な新薬をいち早く国民に提供できることが重要で、特に臨床に近い領域の研究に力を注ぎたい」との方針を示した。(薬事日報2006/11/1)

 2007年4月には、政策パッケージとして「革新的医薬品医療機器創出のための5カ年戦略」を取りまとめています。
革新的医薬品・医療機器創出のための5か年戦略
<民主党政権下での取り組み>
 政権が民主党へ替わり、政府は、2011年1月に「医療イノベーション推進室」を設立します。
 同組織は医療の産業化・国際競争力の強化を目指して、がんペプチドワクチン研究の第一人者である中村祐輔東京大学教授(当時)を室長に迎えて発足しました。
 さらに室長代行には、再生医療の岡野光夫教授と、ノーベル化学賞受賞者の田中耕一氏を据え、当初は一時話題になりました。
医療イノベーション推進室について
医療イノベーション推進室は、10~20年後、更には50年後の世界的な医療技術動向も見据えて、国際競争力を持つ日本発の医薬品・医療機器・再生医療などを次々と生み出し、世界に誇れる「医療イノベーション」を起こすための、国の司令塔となる組織です。
扱う分野も、優れた研究成果を生かしたゲノム創薬や再生医療などの最先端医療技術から、町工場の持つものづくり力を生かした医療機器開発まで多岐にわたり、いずれの分野においても、我が国の「強み」を最大限に生かして世界に通用する技術の実用化を目指していきます。
そのために、主要な役割を担う文部科学省・厚生労働省・経済産業省・総務省の取り組みの縦割りを排除し、また産学官が一体となったオールジャパン体制により、研究開発の基礎から実用化まで切れ目ない研究開発費の投入や研究基盤の整備に取り組みます。(首相官邸/政策会議より)


<改革の挫折>
 医療イノベーション推進室の設立時には、「オールジャパン体制」で世界に誇れる「医療イノベーション」を起こすという壮大な目標を掲げました。
 しかし、2011年12月に中村教授は「ヘドロがたまったような官僚組織を相手に無力感だけが募った」(月間「集中」インタビュー)の言葉を残して室長を辞任。
2012年4月には、米シカゴ大学教授となり研究の場を日本から米国へ移してしまいます。
医療イノベーション推進室長、辞任の背景 戦略欠如、無力さ痛感
 国際競争力の高い医療産業の育成を目指し、昨年1月に政府主導で内閣官房に設置された医療イノベーション推進室の室長を務めていた、中村祐輔・東京大学医科学研究所教授(59)が昨年末で辞任した。数十年先を見据えた制度設計を目指そうとしたが、不安定な政権と省庁間の壁に阻まれ「無力さ」を感じた末の決断という。中村教授は抗がん剤開発などを目指し研究拠点を米国に移す。
 ヒトゲノム(全遺伝子情報)研究の第一人者である中村教授が室長を引き受けた背景には、日本の脆弱(ぜいじゃく)な医療開発基盤への強い危機感があった。
 中村教授は、新たながん治療法として世界中の注目を集めるがんペプチドワクチンの開発を日本で進めている。だが、政府は新薬開発に無関心で施策も基礎研究の担当が文部科学省、安全性は厚生労働省など所管がバラバラだ。
 中村教授は「推進室の設置は、この危機を打開し国家レベルの戦略を練る好機だと思った」と就任の経緯を話す。推進室では、各省庁をまたいでスタッフを構成。創薬支援機構創設などを政府に訴えた。
 発足3カ月目に東日本大震災が発生。中村教授は、日本の医療を進歩させる提言をまとめた。そのひとつが電子化・IT化で世界からの遅れを取り戻すためのもので、一カ所への診療情報集約だ。どの避難所に、どれだけの薬を配分すればよいかが分かる上に医療情報データも得られる。
 だが、民主党の議員らに提言を持ち込んだが、耳を傾けてくれなかった。省庁も動いてくれない。予算もつかない。「結局は霞が関や永田町は大きな視野で戦略を立てることはできない。推進室に自分は必要ない」と思ったという。
 中村教授は、今春米シカゴ大に移籍、がんワクチン療法確立に向けた研究現場に立つ。「日本での開発にこだわり、世界での競争に負けてしまえば何も患者に残せない」と話す。
 日本にとっては、貴重な研究者の頭脳流出だ。だが、日本が、がんに関する国家戦略的な取り組みをすることが、日本の誇りを示す上でも、医療経済を考える上でも最重要だと、中村教授は考えている。
 「幸い日本は基礎研究のレベルは高い。薬の実用化までの戦略・戦術がないだけ。将来の日本を担う若い力がリスクを切り開くことを望む」。そう次世代に託している。(産経新聞2012/01/16)
 結局、国を挙げて医療イノベーションを推進するなどというのは建前で、政治家も官僚も現状を改革する行動をおこせず、優秀な研究者を海外へ追いやってしまうという最悪の結末を迎えてしまいました。

<第2次5か年計画>
 その後、政府は2012年6月6日に「医療イノベーション5か年戦略」を策定します。
医療イノベーション5か年戦略  「日本を国内外の研究者が集まる魅力的な場に」「日本の医療産業の市場拡大・大きな成長を目指す」と文章は勇ましいのですが、結局予算は相変わらず省庁縦割りで、「創薬支援ネットワーク」という単なる役所間の調整組織を設置しただけでした。
創薬支援ネットワーク
 創薬支援ネットワークは、民主党の掲げる「日本再生戦略」の「ライフ成長」分野における重点施策のトップに掲げています。
 しかし、その予算はわずか41億円(5年間で)に過ぎませんでした。
 医療イノベーション5か年戦略の予算全体では411億円ですが、平成25年度予算では65億円を計上したのみです(厚生労働省医薬食品局・平成25年度医薬関係予算概算要求の概要PDF)。

<復権した自民党の取り組み>
 政権は再び自民党へ戻り、再び阿部政権となりました。
 政府は、2013年2月22日に「健康・医療戦略室」を設置します。
「健康・医療戦略室」は、民主党政権下の「医療イノベーション推進室」の焼き直しです。
YouTube Preview Image  菅官房長官は、「我が国の世界最先端の医療技術サービスを実現し、”健康・寿命”世界一を達成すると同時に、医療・医薬品、医療機器を戦略産業として育成し、日本経済再生の柱とすることを目指す。」と記者会見で述べています。
 健康・医療分野を政府の成長戦略(アベノミクス)の柱の一つと据えて推進するということでしょう。

日本版NIHへの遠い道のり
<戦略的行動ができない日本政府>
 過去の資料をみると、日本政府も中央官僚も7年前の時点で問題点も解決方法もほぼ掴んでいたと思われます。
 しかし、大胆なアクションをおこせず、戦力を逐次投入(僅かな予算と組織再編)するに過ぎず、事態は悪化しています。

 なお、「ドラッグ・ラグ」そのものは徐々に改善の方向に向かっており、焦眉の急の患者からすれば以前よりマシな状況になりつつあります。
 しかし、ドラッグラグの解消が進むほど、外資系製薬会社の売上は伸びることになります。
 そこで、同時に、新薬開発能力を世界水準に引上げ、日本の開発機関や製薬会社に成長機会を与えることが必要でした。

 ところが、政府の「壮大な目標」とは裏腹に、現実は加速度的に日本の新薬開発力は低下しております。
 巨大化した外資系製薬会社は、日本にあった研究機関を次々に閉鎖し、拠点を中国やシンガポールに移していきました(2007年にバイエルとグラクソ、2008年にファイザーとノバルティス、2009年にメルク)。
 日本人の優秀な研究者も、日本を離れていきました。

 その結果、わずか10年程の短期間で、医薬品の輸入額が急増する事態に陥ってしまいました。
 現在、アベノミクスにより円安が進行していますので、真に有効な手を打たなければ、医薬品の輸入超過はさらに増大し、この問題はさらに拡大していくでしょう。

<今後への期待-日本版NIH>
 理想は、アメリカ国立衛生研究所(NIH)のようなな政策立案機能と独自予算を持つ組織の設立です。
 NIHは、スタッフ数1万8000人以上(うち医師・研究者が6000人、日本人研究者も400人前後在籍)と322億ドル(約3兆円)の予算を有する巨大組織です。
 予算規模は、日本の約10倍です。
日米政府ライフサイエンス予算比較
 先の中村教授が目指していたのも日本版NIHの設立でした。
 しかし、結局出来たのは「創薬支援ネットワーク」という単なる役所間の調整組織に過ぎませんでした。

 結局、研究者をトップに祭りあげただけで、政治面・実務面のフォローがなかったことが、機能不全に陥った原因と思われます。
 今回の「健康・医療戦略室」の室長には、元国土交通省の和泉洋人首相補佐官を据え、次長に厚生労働省等の各省官房審議官クラスとし、参事官以下の常勤職員も増やす等、民間に拘りすぎて実効性を損なってしまった民主党政権時よりは、まともな組織となっております。

 安倍政権で、前政権の轍を踏むこと無く、本当に医療分野を改革できるか、各省庁の権益と財務省の予算統制を打破して「日本版NIH」を創設できるか、正念場でしょう。


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